not "ago" 2002年 9月11日



 1年365日、もしくは366日。早いと感じるか遅いと感じるかは人それぞれだが、 去年の「今日」から今現在の「今日」までの時の流れ方ほど短く感じたことは無いと思う。 でもあれからもう1年か…

 2001年の9月11日、21時46分(現地時間8時46分)、なんて事ない朝がこのときを境に大切になったのかもしれない。 なんて事ない2台の飛行機が突如として牙を剥きはじめた。アメリカ・ニューヨークの象徴のひとつであった世界貿易センタービルに この飛行機が激突した。これを皮切りに全米の主要地域にて同じようなことが起きた。
 いわゆる全米同時多発テロ事件である。貿易センタービルは後に倒壊。死者2801名を出す大惨事となった。

 この大惨事の爪痕は想像以上に深く、まず飛行機会社が多大なる被害を受けた。倒産する会社まであった。 次に観光地。特に日本からの観光客が多いハワイ・ホノルルなどは観光客が激減。日本国内でも、基地が密集する沖縄は同じように被害を受けた。 そのかわりに、日本国内の観光地が盛況だったのはなんとも皮肉なことである。

 そして惨劇は新たなる惨劇をも生みだした。アフガニスタンの空爆である。誤爆も合わせてかなりの死者を出し、難民も多数出る結果となった。
 「悲劇が被害者を生み、その被害者がまた悲劇を生み、さらなる被害者を生み出す…」 輪廻転生とか何やらではないが、この1年はこんな感じであろう。

 もし、最愛の人が誰かに殺されたとする。そうしたらあなたはどうしますか。感情論からいえば、殺害犯を殺したいだろう。 でも、それで物事は解決するのだろうか。こういう経験がないので多くは語ることは出来ない。 でも、もしそうしたらあなたは人殺しというレッテルを貼られることになる。理由はどうあれ人殺しである。
 そのニュースを見た人はどう思うだろう。「かわいそう」という理由で仕方がないと思う人が多く存在するかもしれない。 でも私はそうは思わない。前述の通り、人殺しには理由もなにも関係ないからだ。冷酷と言われようがかまわない。 事実というものを感情というものでうやむやにしたくはないし、そうしてほしくはないからである。

 少し軸がずれた話をしたが、何を言いたいのかわかってくれただろうか。被害者アメリカは新たなる被害者をまた生み出そうとしている。 仮にイラクを攻撃をしたとする。で、何が残るのでしょうか?何を得て、何を失うのでしょうか。

 「9.11を境に何が変わった?」というテーマでの特番が今日いろいろなメディアであることだろう。ちなみに私はこの質問にこう答える。 「信じるという事をしなくなった」
 長いものには巻かれろではないが、以前まではある程度規模の大きいものについていけば何とかなるかな的考えを持っていた。
 そして、その考えが9月11日、厳密にはその後1年間で完全に崩れ去った。そして心の中に残ったものは「懐疑心」である。

 果たしてこの後、アメリカ、日本、その他諸外国はどのような筋道を歩いていくのだろうか。頼れるものは…武力しかないのだろうか。

(2002年9月11日、21時46分)
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